2022/09/12

卒業研究が始動して3週間。毎日朝8時45分発のバスで研究室に向かい、夜6時45分発のバスで帰ってくる*1生活である。3週間と少し前といえば、寝て起きて気ままに労働をし、日銭を稼ぐ生活であった。それが今じゃどうだ、就寝前に淹れた安いコーヒーを朝起きてわたわたと水筒に詰め、行きしにスーパーでパンを買って桂くんだりへと急いでいる。2年前のおれよ、想像していたか? こんな生活が再びおれを待っていたことを。今現在のおれよ、想像できるか? この生活が激しさを増しながら、あと5ヶ月は続くことを……。

 

このうだるような残暑の日差しも、陰湿な雨も、消失点まで見えようかというまっすぐな街並みも、永遠かのように思われた学生身分の京都暮らしは、もう二度とやってこない。泥沼のような8年間であったが、長い長い青春時代でもあった。

 

寝る以外のほぼすべての時間を左京区から離れて過ごすようになってから、改めてこの街の持つ深みが身に沁みるような気がしている。

 

どれだけ知った場所でも歩けば新しいなにかが見つかるような気がする住宅街。何故か人を引き寄せる、然程大きくもない普通の川。その川を隔てた先に現れる、首が痛くならない程度の都市。この街で数年暮らせば、故郷が書き換えられてしまう。そういう人が多いのも頷ける。

 

春から暮らすことになる街には、今のところ何もない。2回見て回れば新しいものが無くなりそうな街並み。川は憩うには大きすぎる。曲がりくねった道に消失点はすぐに隠されてしまう。ついでにラーメン屋も定食屋もほとんどない。住めば都というが、果たして京都で暮らした者に次の都などありうるのか?  ミヤコしかないんだぞ京都には。しかも2つ。ミヤコ of ミヤコだぞ。

 

ところで先日東京を訪れた。夜行バスに揺られて鍛冶橋駐車場を降りた目の前、もう何度目か見慣れた高層ビルがある。やはりこの街に来ると首が痛くなる……。


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しかし東京タワーはよかった。

 

 

 

桂の町並みは、次の街と今の街を足して1.5で割ったようなところである。この地に送られる者の大半は京都を離れ、大概似たようなところで働き暮らすことになる。青春の終わりとその覚悟を突きつける、道半ばの街だ。

 

それにしても、インターネットのある時代で良かったと思う。次の街でも楽しく生きていけるかどうか、それは住んでみないとわからない。存外やっていけそうな気もしている。

 

 

*1:週に1, 2回は21時発のバスに乗る